2012年07月11日

【家康くん日記】家康くん講座19(家康ゆかりの地、伝説編)

今日の「第19回目」は、前回のつづきで「古戦場犀ヶ崖と遠州大念仏 お話2」を紹介するのじゃ!
【家康くん日記】家康くん講座19(家康ゆかりの地、伝説編)

 武田軍のさむらいたちは、にげる家康公を追って城の中に攻め入ろうとしましたが、もえさかる火と太鼓のすさまじさに、思わず馬のたづなをぐっとひきしめました。これは、きっと何か深いたくらみがあるにちがいないと考えて、攻め込むことをやめました。そして、犀ヶ崖の近くに陣をおいて、夜を明かすことにしました。
 家康公は反撃のために一計を考えました。
 犀ヶ崖に武田軍を追い落とそうと崖に白い布の橋を張り、丈夫な橋が架かっているようにみせかけたのです。
夜半になって、浜松城の近くにある普済寺に自ら火を放って、浜松城炎上と見せかけました。
 夜も半ばをすぎたころ、家康公は、鉄砲隊をつくり、こっそり城を抜け出して、敵の後ろにまわりました。武田軍は、昼間の勝ちいくさにすっかり気をゆるめて、休んでいました。
 とつぜん、大きな鉄砲の音がひびき、「わあっ。」とすさまじいときの声があがりました。
「敵の夜うちだ~。夜うちだぞ~。」
 ふいをつかれた武田片は、織田信長の援軍が来たと思い、暗やみの中で、あわてふためいて逃げ回りました。
 そして、たくさんのさむらいたちは、犀ヶ崖の深い谷ぞこに、馬もろとも落ちてしまいました。真っ暗な谷ぞこでは、人や馬がおり重なって、苦しみながら死んでいきました。
 当時の犀ヶ崖は、深さ約40m・幅約50m・長さ約2kmの複雑な地形でした。
 
・・・つづく・・・(犀ヶ崖資料館資料より)

 今日はこれにてご免!
 次回を楽しみにしているのじゃ!



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この記事へのコメント
その戦いの際の死者を弔うために・・・の意味もあるのですよねえ大念仏は?!
Posted by ササやん at 2012年07月11日 17:08
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