2012年06月13日
【家康くん日記】家康くん講座13(もっと浜松を知ろう編)
拙者が浜松の“知る人ぞ知る”場所や、“おすすめの場所”などを紹介していくのじゃ!
もちろん講座料金は無料じゃ!
今日の「第13回目」は、「姫街道と気賀関所」じゃ!
そなたは知っておるかな?
「姫街道と気賀関所」のことを?
「姫街道」とは、東海道見附宿(磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ約58kmの東海道の脇街道。
姫街道の由来は公家や武家の奥方、姫君の往来が目立つようになったので、姫街道と呼ばれるようになったといわれている一説があるのじゃ。
「気賀関所」とは、慶長6年(1601)に徳川家康によって姫街道の気賀宿につくられた「関所」で、再建されたもの。箱根、新居と並んで東海道三関所の一つ。
江戸時代、「入り鉄砲に出女」といわれるように、鉄砲が江戸に持ち込まれることや、人質として住まわせていた大名の妻子などが国元へ逃げ帰ることを防ぐため関所で厳しく取り締まったのじゃ。
なんと 象が京都から江戸へ下る途中、気賀へ泊まったといわれているのじゃ。
ものすごく長い距離を歩いてきて、象も辛かったのじゃろうな。
どうじゃ、知っておったか?
今、浜松市博物館で、「東海道・姫街道展」(6/9~7/8)を行っているのじゃ。
ぜひ、見に行ってみるのじゃ!
詳しくはこちらまで!
今日はこれにてご免!
次回を楽しみにしているのじゃ!
もちろん講座料金は無料じゃ!
今日の「第13回目」は、「姫街道と気賀関所」じゃ!
そなたは知っておるかな?
「姫街道と気賀関所」のことを?
「姫街道」とは、東海道見附宿(磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ約58kmの東海道の脇街道。
姫街道の由来は公家や武家の奥方、姫君の往来が目立つようになったので、姫街道と呼ばれるようになったといわれている一説があるのじゃ。
「気賀関所」とは、慶長6年(1601)に徳川家康によって姫街道の気賀宿につくられた「関所」で、再建されたもの。箱根、新居と並んで東海道三関所の一つ。
江戸時代、「入り鉄砲に出女」といわれるように、鉄砲が江戸に持ち込まれることや、人質として住まわせていた大名の妻子などが国元へ逃げ帰ることを防ぐため関所で厳しく取り締まったのじゃ。
なんと 象が京都から江戸へ下る途中、気賀へ泊まったといわれているのじゃ。
ものすごく長い距離を歩いてきて、象も辛かったのじゃろうな。
どうじゃ、知っておったか?
今、浜松市博物館で、「東海道・姫街道展」(6/9~7/8)を行っているのじゃ。
ぜひ、見に行ってみるのじゃ!
詳しくはこちらまで!
今日はこれにてご免!
次回を楽しみにしているのじゃ!
Posted by 出世大名家康くん at 10:37│Comments(2)
│「出世大名 家康くん」日記
この記事へのコメント
それは象もくたくたになったんでしょうねえ~気賀にとまったのですねえ~!それから姫街道は豊川の御油まで続くのですねえ~!御油は私の母の実家があります。博物館是非見に行ってみます。女性がたくさん通行する道路は姫街道かなあ~(笑)ねっ!家康くん!
Posted by ササやん at 2012年06月13日 17:04
ぜひ、博物館に行ってほしいのじゃ!
もちろん「気賀の関所」にもじゃ。
もちろん「気賀の関所」にもじゃ。
Posted by 出世大名家康くん at 2012年06月14日 12:43
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